小学生・転校前編
城陽市の小学校
小学校1〜5年まで、京都府城陽市に住んでいました。
イチヂクが有名で子供たちが盗んで食べるので、通学路が遠回りさせられていて、毎日40分かけて通学してたほどのど田舎でした。
田舎特有のヤンチャな子たちが多く、通学時間が長いので、傘のスイッチ部分を改造した鍵を作って、小学生でも自転車をパクるのは日常でした。
それどころか、原付パクるやつもいましたし、万引きなんかもよく見てました。
田舎遊び
田舎なので、虫や小さな動物で遊ぶことが多かったです。
ドブや小川に入りザリガニを獲ったり、夏におたまじゃくしをマンホールに置いて破裂させたり、カエルのお尻に爆竹を突っ込んで爆発させたり、蛇を振り回して壁に投げつけたり‥。
今考えると、ゾッとするようなことをしてました。
学校全体がかなり荒れていて、僕も学校には教科書を一切持っていかず、ゲームブックを持って行ってました。
授業も途中で抜け出して、校内をウロウロしてるような、今考えると学級崩壊状態。
給食時間にはパンを片手に、学校から抜け出してお菓子屋さんなどに行ってました。
先生がよく泣きながら怒ってました。
友達を買う
僕の父がテキ屋をしていたので家に売上の小銭があり、その小銭を盗んでは友達にお菓子を奢り、お金で友達を作るような子供でした。
いつも盗んだお金を持っていたので、電車に乗って近くのイズミヤに出かけプラモデルを買ってました。
この小銭泥棒がエスカレートして札に手を出し始め、1000円…2000円…5000円と盗むようになり、1万円を盗んだ時に母に見つかりました。
本当は母は気づいていて、僕がまんまと引っ掛かりました。
母は「ここにあった1万円知らない?この家に泥棒が入ったみたい!警察に電話しないと!」っていう演技にビビった僕は、泣きながら白状しました。
父はテキ屋でたこ焼きやお好み焼きを売っていて、お客さんから数百円をいただき、そのお金で生活をしていることを聞き、泣きながら謝ったことを覚えています。
それ以来、小銭を盗むことも、周りが万引きしてても、僕はしないようになりました!笑
そんな自由でヤンチャな小学校生活を送っていた僕は、小学校生活を5年生の半ばで、京都市内に引っ越すことになりました。
ちなみに、この頃から体が硬くヤンキー座りをしても、かかとが付きませんでした…笑