山口克志『グッチ』の自分史⑨離婚

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整体院廃業

何も知らない状態で商売を始めたので「商売を始めたら誰でも成功するのだ!」と思ってました。

でも、お客さんが増えず家に篭りっきり。

やることがなく暇だったので、ずっとドラクエ(テレビゲーム)をしてました。

当時は、プライドだけが高く、「チラシを撒くなんて、僕にはできない!」と、お客さんもいないのに偉そうなことばかり言ってました。

でも、さすがに家に居づらくなり、人目に触れない産廃工場でアルバイトをはじめました。

産廃工場ではゴミの仕分けをしてましたが、長靴にガソリンが入り火傷を負って、またしばらく働けなくなりました。

離婚

見栄が原因でこんなことを繰り返していても、奥さんは文句も言わず看護師として家を支えてくれてました。

「僕はいったい何をやってるんだろう…」また働けなくなった不甲斐ない自分を責めました。

 

そんな時、周りの友達たちも結婚をしていき、子供ができていきました。

僕たちも子供が欲しかったのですが、なかなか子供ができなかったので、検査に行きました。

検査で僕は「通常妊娠がむずかしい」と言われました。

 

「収入もない…」

「子供もできない…」

一生懸命働いている奥さんを見ていて、どんどん自分を責めるようになりました。

「奥さんは、僕じゃない人と一緒にいる方が幸せになれる」と、勝手に思い込み、僕から別れを告げました。

「僕から別れを告げた」と、カッコいい言い方になりますが、当時の僕は「逃げる」ことしか思い浮かばなかったんです。

とにかく惨めな自分が情けなくて、逃げたかった…。

離婚後、僕は滋賀に出戻りました。

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この記事を書いた人

姿勢専門整体院スタジオラクト代表。一社)ポスチャーポジション協会 代表理事。頭痛専門家。1978年、大阪生まれ。
整体歴23年で、50000回以上の施術実績。頭痛・姿勢の専門著書を3冊出版。また、滋賀県教育委員会認定の『姿勢講座』を開講。会員整体院『スタジオラクト』の経営。滋賀県教育委員会認定の姿勢講座を開催。姿勢の講師『ブランドセラピスト®︎』育成、整体スクールの運営、オリジナルマクラの販売など、お客様の体の痛みの緩和からセラピストのプロデュースまで行う。

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