40歳を超え、サイトの一新しましたし新しく出会う人も増えてきましたので、これまでの人生を振り返ってみました。
思い返せばこの歳にしては、いろいろな貴重な経験をさせてもらいました。
まずは、少しだけ曲がっていた20歳までをご紹介します。
20年の人生を振り返る
転校・父親の借金の保証人・夜逃げなど、いろんなことがあり、ひん曲がった人間になってしまいました。
でも、今では全てネタです。
僕の人生を賑やかにしてくれた、みなさん(出会ってくれたみなさん)本当にありがとうございます!
誕生〜小学校までのグッチ
もちろん小さい頃の記憶はありませんが、長男の僕はとても大切にされてきたと思います。
葛葉で生まれ、3歳で城陽に移りました。
しっかりした顔つきでとっても可愛い子供だったようです。
小学校時代
小学校に入り両親が共働きでしたので、首から鍵をぶら下げた鍵っ子でした。
友達は学童に行っていて、近くに同級生の遊ぶ相手がいませんでした。
当時、父親がテキ屋(たこ焼き屋さん)をしていたので、家に小銭がたくさん置いてあったので、その小銭を盗み、少し離れた友達を「お菓子を買ってあげるから」と、お菓子やプラモデルなど、お金で友達を作ってました。
そんな子供でした。
でも、最初は数百円だったのが、500円、1000円と少しずつ盗む金額が増え、ついには1万円を盗みバレました。
「これだけのお金を稼ぐのにどれだけたこ焼きやたい焼きを売らないといけないと思う?」と、母に叱られました。
僕はものすごい反省し、中学時代に万引きが流行っていた時も一度も盗んだことはありません。
小学5年生の時に、城陽からおばあちゃんの住む京都市内へ引っ越しました。
転校初日に同級生何人かににランリュックを踏まれ、キレて追いかけ回したので、ナメられることなく、すぐに友達ができました。
僕の通って居た小学校は、結構悪い学校だったので、同じように教科書を全部捨て、ゲームブックだけを持っていってました。
給食を食べず、昼休憩に校舎から抜け出そうとして怒られました。
転校して1週間後には、自転車のパクリ方をみんなに伝えたことがバレて、先生に校舎の奥に呼び出されて「お前は何しにきたんじゃ!」と怒鳴られました。
その後も、掃除の時間に注射器で水の掛け合いをして、理科室の床を3cmくらい水浸したり、嫌いな奴に水風船をぶつけたり、校舎から見える家に向かって物を投げて遊んだり、やんちゃばかり。
入るなと言われてたプールにドッッチボールをしたのがバレて、Tシャツの襟がのびのびになるくらいぶん投げられたりしました。
でも、卓球が流行ってましたので、それはがんばっていて、スポ少の初級で優勝しました。
中学時代
入学時の僕は髪の毛ツヤツヤ、センター分けでこんなに可愛かったのです。
僕の中学校は、怖い先輩たちが多かったのと、当時は「特攻の拓」「カメレオン」 「湘南純愛組」など、ヤンキーブームとスラムダンクに憧れ、バスケ部に入り、ブームに乗って、髪を染め、短ラン・ボンタンの中途半端なヤンキーの道へ
当時は、170cm弱で75kgくらいあって、力だけが取り柄みたいな男でした。
なにより、ものすごく老けていました。
他校の生徒が学校に乗り込んで来た時もビビって行けませんでしたし、夜店で絡まれた時も、ビビってボコボコにされたりしました。
力は強かったのですが、当時からメンタルが弱くて喧嘩が弱かったんです…。
高校時代
この頃にはすっかり、目つきが悪くなり、可愛げがなくなってました。
なぜか、友達少ない高校を選んでしまったので、高校は全然楽しくなかったです。
でも、このクラスの先生がとてもいい方で、「この時間だけ出席しろ」と単位が取れるように連絡をくれたおかげで進学できました。
父が借金の保証人へ
この頃に父親に借金がわかったこともあり、毎日1〜2組の借金の取り立てが家にやってくるようになりました。
この借金は、父が友人の借金の保証人になり、その友人が逃げたみたいです…。
父は借金を工面するために家からいなくなり、母は僕たちのための働きに行ってくれてました。
祖父・祖母も仕事に行って誰もいなくて、妹たちと僕しかいないところへ毎日毎日、僕が家に帰ってくる時間に、怖そうなおじさんたちが「お前の父親はどこに行ったんや!知ってるんやろ!」って詰め寄ってきたんです。
家にいる間も、借金取りから電話がなりっぱなしで、僕は電話恐怖症になり今でも電話が鳴るとビクってなってしまいます。
ちなみに、当時の借金取りのおじさんたちは、チャイムは鳴らさないんです。
チャイムなら無視できるからだと思いますが、玄関の少し離れたところから「おーい!山口さーん、出てきてくださいよー!」って大きな声で叫ぶんです。
近所の人に迷惑がかかるので、出ないわけにいかないんです。
妹たちを奥に隠して、僕が対応してたんですが、本当に怖かったです。
暴走族へ
家にいるのが嫌になり、母たちが帰ってきたら外に遊びにいくようになりました。
友人が「族(暴走族)を作りたい」って言ったので、単車をパクって5名くらいで族をはじめました。
でも、僕は単車が乗れなかったので、友人の後ろのに乗せてもらうことが多かったです。
先輩たちと一緒に走ることもあったので、大人数の時は気持ちよかったです。
調子に乗って特攻服を着て単車に乗ってましたが、みんながベタ靴なのに、ビビリな僕は走って逃げられるように紐靴でした。
高校2年の時(8/31)に、京都でのはじめて縄(警察が暴走族を捕まえるために開発した)を見ました。
公務執行妨害
原付で暴走してた時に、無茶をしたバイクにぶつけられて何台かでコケたことがありました。
捕まるのが嫌で走って逃げて車の陰に隠れていたら、キョロキョロしてる人がいたので、手を振って「おーい、ここや!早く逃げてこい!」って呼んだ人が警察でした。
「待て!」と捕まりそうになったので、持っていたヘルメットで殴って、その後に投げつけてしまった(時効でよかった…)
次の日に、警察から「原付バイクが押収されました」と連絡がありました。
そこでバレるのが怖くて、髪を黒く染めて襟付きの真面目な格好をして、警察署に行き「原付が取られた」と嘘をついて聴取を受けました。
「こんなに改造されたなんて…」って悲しそうに話しました。
すると、それを信じてくれた警察の方が「かわいそうに…大変やったな」ってバイクを返してくれました。
ヘルメットがないのをわかってましたので、押して帰りました。
バレなくてよかったのですが「嘘をついてしまったこと」の方が凹みました。
こんなことばかりやってた高校時代でした。
次回は、「夜逃げ」について書きたいと思います。
先日、母に「借金を返したから夜逃げじゃない!」と叱られましたが、夜に引っ越ししたので、この歳になるまでずっと「夜逃げ」だと思い込んでました(笑)