「LIFE SHIFT(まんが)」という本を読んで、改めてこれからの「100年時代」を考えました。
前までの僕は、「そんなに長く生きるつもりはない」って言ってきました。
でも、去年亡くなったおばあちゃんと話していた時におばあちゃんが言っていたのが「死にたくても死ねないんよ」でした。
この言葉からいろいろと考えるようになりました。
おばあちゃんが言った「死にたくても死ねない」
おばあちゃんは、心臓が悪くこれまで入退院を繰り返し、何度も死にかけてました。
「おばあちゃん、大変やったね」と話すと「ごめんね…十分に生きたしもういい(生きること)ねんけど、死ねないんよ」って何度も話してました。
だいぶ前におじいいちゃんが亡くなり、一人で生きていたおばあちゃんは、よく「もう、いつ死んでもいいんよ」って口癖のように話してました。
そして、入院をする度に手続きなどをしに京都に行く僕に「ごめんね…」って何度も言ってました。
亡くなる1週間前は、毎日のように京都に向かい、意識がなくなっていくおばあちゃんに声をかけ続けました。
「また、会いにくるからがんばってね!」
「早く元気になっておいしものでも食べにいこうね」
と言ってました。
でも、ツラそうで最後の方は、おばあちゃんの顔を濡れタオルで拭きながら
「おばあちゃん、大好きよ」
「おばあちゃんのおかげで僕はここまで大きくなれたんよ」
「おばあちゃん、ありがとうね、もう楽になっていいんよ」っていう言葉をかけました。
意識もなく、口も開きっぱなしで、ぜぇぜぇ呼吸をしているおばあちゃんが、軽く手を握り返してくれて、涙を流してうなずいたんです。
そう言ってほしかったのかなぁって思いました。
ちゃきちゃきしたおばあちゃんで、いつも家族ことを考え働きまくっていました。
だからこそ、家族に迷惑をかけるのがとてもツラかったのだろうと思います。
それは、僕たちが「迷惑なんかじゃないよ」と伝えても、おばあちゃんはツラかったんだろうと思います。
僕は、おばあちゃんの「死にたくても死ねなんよ」って、言葉がとても心に残りました。
日本では、迷惑をかけずに死ぬ方法がない
日本では、基本的にまだ「尊厳死」「安楽死」と言った死に方は選べません。
ですので、死ぬまで生きないといけない。
これは、当たり前なようで、わかっていない人が多いように思います。
僕の整体という仕事は、「体に痛みをかかえる人たち」が来られる仕事です。
この仕事を17年やってきてわかったことは、体を大切にしない人が多すぎるということです。
車のようにパーツが壊れたからと言って、簡単に交換できないんです。
しかも、車のように乗り換えもできなくて、何十年も使い続けないといけない。
壊れたら壊れたまま使い続けないといけないのが、僕たちの体なのです。
「痛くてもういやや!」と言ってもどうしようもないのです。
僕たちは、この体で死ぬまで生きないといけないんです。
体を壊すと、家族からたくさんのものを奪う
自分の体が不自由になると誰かの世話にならないといけない。
それは、大切な家族から、時間やお金、心を奪うことになる。
当店に来られるお客さんが「家族に迷惑ばかりかけるし、この痛みが取れるなら1000万円くらい安い」と言ってました。
それを聞いて、とても残念でした。
頭痛・肩こり・腰痛・ひざ痛…これらの体の痛みは、だれのせいでもなく、自分で作り出したものなのです。
体は異常を痛みというサインで出し続けていたのに、それを無視した結果なのです。
完全には回復できない症状になり、家族を心配させることになったのです。
100年時代を生き抜くために
今、これを伝えるのは酷だと思いましたが、「その1000万円の1/3でも若いころから体のために使ってきたらこうはならなかったのです」
「なので、家族を心配させないように、これからでも体を大切にしてあげてください。」と伝えました。
着物時代のように歩き方が悪くても、50歳で亡くなる時代では、ひざ痛にならなかったかもしれない。
今多い内股でも、80歳で亡くなるなら少し痛みを我慢すればいいだけ。
でも、100年時代に突入しようとしているので、それを考えると「美」「物」ばかりにお金をかけてないで「健康」にもっと時間とお金をかけないといけない。
だって、「死にたくても死ねない」時代なのですから。